犬に論語

道理を説き聞かせても益のないことのたとえ。
同様の諺で、フランスに「ロバにシャンソン」というものがあるそうですが、本当でしょうか。
フランス人の方、教えてください。
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ライブの特異日

今年は行きたいライブが重なる「特異日」が多い。この場合、「行きたい度」が拮抗しているのならば、どちらも行かない。どちらに行っても後悔するから。そもそも、どちらに行くか迷うということは、どちらもそんなに行きたいとは思っていないということ。

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なゆゆ

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大金をかけなくても楽しいライブは工夫次第でいくらでも出来る。

posted at 14:07:55  削除

気持ちが高まっているから大げさな感じがするけど、℃-uteは「楽しさの性質」で言ったら山下達郎さんや渋さ知らズや昔のCKBに近いのかもしれない。

posted at 13:59:08  削除

ぜんぜん書き足りないし、思ったことをぜんぜん上手く表現できていないし。寝不足で朦朧としているから。また書くと思う。こういうことは何回も書けばいいと思う。

posted at 13:51:08  削除

最近、夢にも出てくるし、きのうも何度か俺と目が合ったので愛理は俺に気があるんだと思う。って思わせる愛理のアイドル力。ちょっとした仕草や表情のかわいさに女の子も惹かれるのはわかる。

posted at 13:48:52  削除

でも、岡井ちゃんの顔を見ていると(いい意味で)面白くって、思わずこっちの顔もほころんで幸せ。

posted at 13:43:34  削除

かといってそういう演出上のギミックに頼るわけではなく、あくまで歌とダンスで魅せる。無駄なMCもないし。なんだろうなあ、℃-uteの歌とダンスの楽しさって。本人たちが楽しそうにやっているように見えるからだろうか。本当のことはわからない。

posted at 13:41:31  削除

5枚のLEDパネルを使った演出というのはパネルの裏に行くとパネルの中にその人が表示され、瞬間移動したかのように見せるもの。他の人もやっているのかもしれないが、ユーミンの「TEARS
AND REASONS」ツアーでも似たようなことをやっていた。たぶん。うろおぼえ。

posted at 13:32:44  削除

その間に「羽田基準」ってのが自分の中に出来てしまったからな。

posted at 13:28:14  削除

sonarはとても興味深かったし面白いところもいくつかあった。でも、正直なところあまり楽しいとは思わなかった。これは2004年のsonarからずっと自分の中で続いている問題と絡み付いて、これからすっと考えていかなければならないことなので、またいつか。

posted at 13:27:43  削除

5枚のLEDパネルもそんなに良いものじゃないと思う。前日に観たsonarでのスクエアプッシャーのステージ一面のLEDはやっぱりあれだけで驚きがあるし面白かった。ただ、楽しかったかというとそうとも限らない。

posted at 13:21:16  削除

フラッグパフォーマンスは失敗したり成功しても綺麗に成功していたわけじゃない。でも、それでいいと思う。完璧なフラッグパフォーマンスが出来ることを前提に観に行ったら多少の粗も気になってしまうだろう。「不気味の谷」みたいな。だからあれでいい。楽しいから。

posted at 13:15:02  削除

なぜフラッグパフォーマンスをやったのかわからない。いつもの歌やダンス以外の「芸」を見せたかったのだろう。舞台に上がる人として。あのLEDパネルを使った演出もそう。

posted at 13:08:48  削除

ヴィジョンがないのはたぶん、おカネの問題だろうけど。数えたわけじゃないけど、照明の数も少ないような気がした。でも、その照明をすごく効果的に使っていた。K.U.F.Uだよ。

posted at 13:04:50  削除

℃スマの時もそう思った。ヴィジョンはヴィジョンで舞台演出上、非常に有効は役割を果たすが、なきゃないでいい。

posted at 13:02:01  削除

℃のライブにヴィジョンがないのは賛否あると思うけど、それによってよりライヴ感が増したように思う。100%生身の彼女たちに視線が行くから。そしてその視線に耐えられることを彼女たちは出来ている。

posted at 12:59:50  削除

舞美ちゃんの大量の汗のしぶきが飛び散る様を始めて見た。あれ、ホントにスゴイね。卑猥な例えを思いついたがやめる。

posted at 12:53:27  削除

なっきぃの歌の素晴らしさは顔で歌っているところ。あのクルクル変わる表情としなやかな肉体の躍動を観ているとホントに素敵な歌に聴こえる。ソロで歌っているとき「1974」のりっちゃんを思い出した。

posted at 12:50:52  削除

原発のロックンロールの話とかホントにどうでもいい。「ロック」とか「ヒップホップ」とかって言葉が出ると反射的に茶々を入れる。twitterのそういうノイジーなところが面白いのだけど、なんかもうめんどくさい。だったらリムーブするかtwitterをやめたらいい。簡単な話だ。

posted at 12:40:40  削除

溢れ出た時にね。

posted at 12:01:48  削除
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経済的な理由で今年は遠征を控えようと思っているので、迷ったら行かない。

迷って行かなかった(行かないだろう)。
・℃BDイベ@大阪
・愛ちゃんFCイベ
・娘。@横須賀
・「テ ヅカ TeZukA」
・「ストロンガー」
・舞美さんCDS@大阪(落選)
・「BOYCOTT RHYTHM MACHINE VERSUS」
・「I'LL BE YOUR MIRROR」
・娘。@滋賀
・℃@名古屋
・(オザケン)
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いきなり去年のこと

2011年
【1月】
ハロプロ@中野 昼夜
ヤン富田@大阪
【2月】
ヤン富田@横浜 昼夜
【4月】
岩崎宏美@富山
遠藤ミチロウ@金沢
娘。@滋賀 昼夜
℃スマ@大阪 昼夜
【5月】
℃@中野
細野晴臣@日比谷公会堂
ベリ@中野 昼夜
娘。イベ@名古屋
娘。@福井 昼夜
℃@新潟
「らん」@東京
ROVO@野音
【6月】
℃@大阪 昼夜
娘。@刈谷 昼夜
「Springfields '11」@野音
【7月】
ハロプロ@大阪 昼夜
【9月】
娘。@名古屋 昼夜
℃@横浜 昼夜
娘。@福井 昼夜
娘。@武道館×2
【10月】
ヤン富田@福岡
【11月】
デモ@渋谷・原宿
ROVO×SYSTEM 7@渋谷
ベリキュー@中野 昼夜
舞美イベ@東京
【12月】
デモ@渋谷・原宿
「真田十勇士」@東京
ヤン富田@横浜 昼夜
山下達郎@新潟
TDV@帝劇×3
「1974」@東京
℃@横浜
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安全と安心 平和で仲良し 2011年12月大晦日

まったく年の瀬感を感じないまま、もうすぐ年を越してしまう。
だもんだから年末によくやるようなことはほとんどしなかった。
大掃除とか。
いつも通りのスケジュールでいつも通りの掃除をして
選択をして、なんかボンヤリして。
こんなことじゃ歳神様はやって来ないのかな。

実際に年を越してみないと分からないけど、
新年を迎えることによる「リセット感」があまり感じないような気がする。
年越しが単なる通過点にしか感じられない。

いまこれを書いている時点では、
テレビもラジオも付けてない。
何時なのか何日なのかここが何処なのか、なんだかどうでもいい。
一人で過ごす大晦日はそろそろマズイのかな。

なんだかよくわからない。

休みが明けたらすぐにタイトなスケジュールの仕事が入っているが、
考えずに感じずに適度にこなせて締切に間に合えすればそれでいい。
仕事って言ったって突き詰めれば簡単な作業が連続して組み合わさっているだけなんだから。
スケジュールがタイトになったのは俺がハロコンに行くからで、
ゴチャゴチャ余計なことは考えない。

なんだかよくわからない。

来年は今年の延長線上でバージョンアップさせただけの年だろう。
でもそれがすごい転換点なのかもしれない。
良いことなの悪いことなのか。

歴史を勉強しよう。

過去の思想家の本を読もう。

詩を読もう。

テレビやラジオを付けないととても静かだ。
心地が良い。

ハロコン@中野、羽田@noon、インフルエンザで始まった今年の総括はいずれ。
飯の用意もできたし、紅白でも観るか。
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未だにこんな風にしか考えられない俺は、まったく成長していない悲しい人間なのかもしれない。

顧問をしていたからっていうわけじゃないけど、手塚治虫さんがなくなったときに近い感情をなぜか思い出している。
喪失感とか世間に対する違和感とか。

特別にファンだったわけでもないし、そもそも落語にはあまり縁がないのに。

一度だけ高座を観たことがある。
それまでテレビでもラジオで生でもまったく落語に触れたことがなかった田舎の高校生の俺にはピンと来なかった。
てゆうか、目の前で行われていることがなんなのか、よく理解できなかった。
それくらいの関係。

人それぞれだろうからなんとも言えないし、
いきなり生で観て落語に開眼する人もいるだろうが、
落語に関するそれなりの一般教養とか経験が必要なのかなって思った。
リテラシー。
それがいったいなんなのかはわからないけど。

見ないようにしているが、ザッピングしているとつい見てしまって。
主にワイドショーなんかは生前の「おもしろ破天荒」な言動ばかりを取り上げたりして、
それも含めて「芸」「作品」なのかもしれないけど、
「本業」のスゴさってものをまったく取り上げない。

「本業」がスゴイからスゴイ人なんでしょ。

もちろんそれはワイドショーの役目ではないし、ワイドショーには伝えられないことだろうし、時間が経てば他でちゃんとやるだろうし。
そんなものを期待してもしょうがない。
コメンテーターと呼ばれている人たちも仕事だからしょうがないんだろうけど、
よく知らないのに何かを言っているのを見ると「お前はだまってろ」って不愉快になったり。

こういうときにマスコミの軽薄さがよりあらわになる。
それはつまり見ている方も軽薄だということだ。

だったら見なきゃ良いのに。
成長していない。

しかも俺自身、別にファンでもなんでもないのに。

なんだろうね、この奇妙な感覚は。

俺が今、ハロプロを楽しむために使っているのと同じくらいの時間とおカネを落語に対して使うことが今後あるのかないのかわからないけど。
そんなの、人それぞれだから。

でもまあ、楽しみは多い方が良いね。
相互作用で今までの楽しみがより楽しめるようになるし。
てゆうか、いろんなことを楽しめるようになりたいね。
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・もうじき1980年がくる、というころ、ぼくは『TOKIO』という曲の作詞をした。

 それより、少し前から、ぼくは
 「東京には、なんでもあるんじゃないの?」
 というようなことを思っていた。
 ぼく個人の会社名も「東京糸井重里事務所」としていた。

 海の外を遠眼鏡で見て、憧れてばかりいるよりも、
 じぶんの立っている足の下の「東京」に、
 ほんとはなにもかもあると思おうとしていた。
 
 それは、やがて、ほんとうになった。
 卑屈に上目遣いで生きているよりも、
 じぶんのいまいる場所には「なんでもある」と
 思っていたほうが、活気もでる。
 「東京」ということばは、
 日本の「地方」に対する「東京」の意味だけでなく、
 「世界」を相手にした「東京」の意味を持った。

 なんだかとにかくアメリカが一番で、
 「日本」は二番らしいぞ、という時代が続き、
 「東京」はなんだかいい気になっていたかもしれない。
 1980年に『TOKIO』が街に流れてから、三十年も過ぎ、
 「東京」はそのころのままじゃなくなっている。
 それも当たり前のことだろう、
 企業だって三十年もつだけでたいしたものだ。
 ぼくは、その「東京」の内部にいたせいで、
 変化を見つけにくかったような気がする。
 
 意識的に海外に目や足を向けるようにして、
 「東京がすべて」じゃない育ち方をした人たちに会い、
 三月に被災した東北地方のリーダーたちと、
 さまざまなことを話し合う‥‥ことが多くなった。
 それをくりかえしているうちに、
 このごろ、つくづく(痛いほど)思うようになった。
 「東京でないところ」に、すばらしいものが
 次々に生まれていた‥‥東京はうっかりしている。
 これは、どちらにとっても「のびしろ」である!
 ぼくは「東京」を大好きなままで、
 「東京」が変わっていくように動こうと思う。


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甘酸っぱい春にサクラサク




泣かないってずっと決めていた
だけど溢れだす思い出達
辞めたくなった日もあったはずなのに
なぜだろ 愛しくて寂しい

一人ぼっちのお昼ごはん
仲良しグループでお勉強
いろんな記憶が心を巡るわ
感謝の気持ちってこういう感じ?!

明日からは何をすれば
褒められるのかな
こんな私でも羽ばたけるのかな

甘酸っぱい春にサクラサク
思い切りはしゃいだ
思い切り悩んだりした
甘酸っぱい春にナミダサク
思い切り勉強もしたけれど
本当に大切な学びは
誰かに教わったものじゃない
経験が教えてくれたよ

夢だけは大きく持ってた
いつの間にか小さくなってたな
自分のスケールを決めつけたりして
無難な道を歩いてた

本気の悩みを真剣に
聞いてくれるアイツが引っ越した
この世の終わりが来た気がしたっけ
それでも今も本物のマイフレンド

父や母の時代と
何が違うのかな
どんな羽で飛んでゆくのかな

甘酸っぱい春にサクラサク
友達も大切
思い出達も大切
甘酸っぱい春にユメヒカル
ケンカしてもアイツが大切
本当に大切な時間は
当たり前のように過ごす時間
学校も教室も サヨナラ

甘酸っぱい春にサクラサク
友達も大切
思い出達も大切
甘酸っぱい春にユメヒカル
ケンカしてもアイツが大切
本当に大切な時間は
当たり前のように過ごす時間
学校も教室も サヨナラ

毎日をいっぱい ありがとう
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センチメンタル、シティ、ロマンス。

楽しいことは、なんてつまらないことなんだろう。

たまたま同じ学区に住んでいて、
たまたま同じ年齢だからという理由だけで、
同じ施設(小学校)に通わされて、
理由が公表されない、教員によるクラス分けによって出会ったというだけの関係。
個人の意思による共通する何かで出会ったわけじゃない。
そこが大学や会社などとは違うところ。

結局、朝の4時くらいまで呑んで解散したけど、
俺の体力的には珍しくまだまだイケそうだったので、
けっこう楽しかったんだと思う。
ああいう催し自体が俺にとっては珍しいことだったてのもあるし。

だけどね、このまま時間が止まればいいのにとか、
また会いたいとか、このメンバーでまた集いたいとまでは思わなかった。
呼ばれれば行くかもしれないけど、何回かやるうちに絶対に飽きる。
今回も次のステップにつながるような何かが生まれたわけじゃないし。
俺はそもそもそんなつもりはないし。

主催者の意図とか関係なく、
とにかくその時その場が楽しければ良かった。
せっかく四半世紀ぶりに会うんだから
嫌な気分になりたくない、っていう素朴な理由。

最初は相手の仕事のこととか家族(結婚してるのかとか)のこととかを軽く確認して
その後は出来るだけ仕事の話はしないようにした。
仕事の話って盛り上がらないから。
ネタ的に言うのはアリだけど。
あと、とにかく褒める。嫌味にならない程度に。
お世辞だと分かっていても褒められれば嬉しいし、
そうすることで場の空気がポジティブな良い方向に流れて、
無理に褒めなくなっても自然と楽しい場になる。
高学歴の人間は、話の中にちょいちょい大学のことを挟み込もうとするが、
そういう場合はさりげなくそれを遮って違う話題にすりかえるようにした。
その集いには高卒も中卒も居たから。
大学が云々って言われても盛り上がりようがないから。

基本的には「あの人は今」から始まって、
「俺はあの頃、お前orあいつのことをこう思っていたんだぜ」という告白TIME。

そういう話を聞くと、俺の人生は小3くらいまでずっとピークだったんだなって思った。
リア充だった。
その後はなぜか、ずっと下り坂だ。
いまも下り続けている。
ライク・ア・ローリングストーン。
いまでも覚えているけど、
小4くらいから、学校ってものに対して急に違和感を感じ始めて、
なんでこいつらと毎日同じ場所で同じ時間を過ごさなきゃいけないんだろうって思うようになった。
周りの奴らを上に見るわけでもなく下に見るわけでもなく
なんとなく距離をとるようになっていた。
俺の性格の歪み、偏りがこの頃から始まった。
なぜそうなったのかは分からないのだけど、
自分の生活環境の変化で言えば、
専業主婦だった母親が働き始めたことくらいしか変化はない。

まあ、それはそれとして。

「あの人は今」話から、
保育園時代のみんなのアイドル的存在で俺も好きだった女の子が
スナックのママをやっているというので
じゃあ、いまから行こうぜってすぐにタクシーで行った。
この辺から記憶が曖昧。

好きだったからといっても、幼少期の記憶なんてそれこそ曖昧だから、
顔もなんとなくおぼろげにしか覚えていないし。
店に到着をして実際に対面しても、面影があるようなないような
どこにでもよくいるスナックのママだった。
メイクのせいもあるだろうけど。
でもやっぱり、年齢の割にはそこそこ可愛い方なんじゃないかと。

で、そのあと別に店に行って、朝の4時。

「数人」っていうのは辞書によると
「2、3か5、6ぐらいの人数。」ってことらしい。
これって4人は入るの?
まあ、そのくらいの人数だった。
スナックのママを除いて全員男。

もし全員女だったら「女子会」って言うんだろうね。

生まれ育った街で家業の飲食店を継いでいる奴は、
やっぱり地元の情報に詳しいね。



全然関係ないけど、
斉藤由貴って名曲が多いね。
どの盤を選べば良いのか迷う。
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