犬に論語

道理を説き聞かせても益のないことのたとえ。
同様の諺で、フランスに「ロバにシャンソン」というものがあるそうですが、本当でしょうか。
フランス人の方、教えてください。
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・もうじき1980年がくる、というころ、ぼくは『TOKIO』という曲の作詞をした。

 それより、少し前から、ぼくは
 「東京には、なんでもあるんじゃないの?」
 というようなことを思っていた。
 ぼく個人の会社名も「東京糸井重里事務所」としていた。

 海の外を遠眼鏡で見て、憧れてばかりいるよりも、
 じぶんの立っている足の下の「東京」に、
 ほんとはなにもかもあると思おうとしていた。
 
 それは、やがて、ほんとうになった。
 卑屈に上目遣いで生きているよりも、
 じぶんのいまいる場所には「なんでもある」と
 思っていたほうが、活気もでる。
 「東京」ということばは、
 日本の「地方」に対する「東京」の意味だけでなく、
 「世界」を相手にした「東京」の意味を持った。

 なんだかとにかくアメリカが一番で、
 「日本」は二番らしいぞ、という時代が続き、
 「東京」はなんだかいい気になっていたかもしれない。
 1980年に『TOKIO』が街に流れてから、三十年も過ぎ、
 「東京」はそのころのままじゃなくなっている。
 それも当たり前のことだろう、
 企業だって三十年もつだけでたいしたものだ。
 ぼくは、その「東京」の内部にいたせいで、
 変化を見つけにくかったような気がする。
 
 意識的に海外に目や足を向けるようにして、
 「東京がすべて」じゃない育ち方をした人たちに会い、
 三月に被災した東北地方のリーダーたちと、
 さまざまなことを話し合う‥‥ことが多くなった。
 それをくりかえしているうちに、
 このごろ、つくづく(痛いほど)思うようになった。
 「東京でないところ」に、すばらしいものが
 次々に生まれていた‥‥東京はうっかりしている。
 これは、どちらにとっても「のびしろ」である!
 ぼくは「東京」を大好きなままで、
 「東京」が変わっていくように動こうと思う。


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