犬に論語

道理を説き聞かせても益のないことのたとえ。
同様の諺で、フランスに「ロバにシャンソン」というものがあるそうですが、本当でしょうか。
フランス人の方、教えてください。
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未だにこんな風にしか考えられない俺は、まったく成長していない悲しい人間なのかもしれない。

顧問をしていたからっていうわけじゃないけど、手塚治虫さんがなくなったときに近い感情をなぜか思い出している。
喪失感とか世間に対する違和感とか。

特別にファンだったわけでもないし、そもそも落語にはあまり縁がないのに。

一度だけ高座を観たことがある。
それまでテレビでもラジオで生でもまったく落語に触れたことがなかった田舎の高校生の俺にはピンと来なかった。
てゆうか、目の前で行われていることがなんなのか、よく理解できなかった。
それくらいの関係。

人それぞれだろうからなんとも言えないし、
いきなり生で観て落語に開眼する人もいるだろうが、
落語に関するそれなりの一般教養とか経験が必要なのかなって思った。
リテラシー。
それがいったいなんなのかはわからないけど。

見ないようにしているが、ザッピングしているとつい見てしまって。
主にワイドショーなんかは生前の「おもしろ破天荒」な言動ばかりを取り上げたりして、
それも含めて「芸」「作品」なのかもしれないけど、
「本業」のスゴさってものをまったく取り上げない。

「本業」がスゴイからスゴイ人なんでしょ。

もちろんそれはワイドショーの役目ではないし、ワイドショーには伝えられないことだろうし、時間が経てば他でちゃんとやるだろうし。
そんなものを期待してもしょうがない。
コメンテーターと呼ばれている人たちも仕事だからしょうがないんだろうけど、
よく知らないのに何かを言っているのを見ると「お前はだまってろ」って不愉快になったり。

こういうときにマスコミの軽薄さがよりあらわになる。
それはつまり見ている方も軽薄だということだ。

だったら見なきゃ良いのに。
成長していない。

しかも俺自身、別にファンでもなんでもないのに。

なんだろうね、この奇妙な感覚は。

俺が今、ハロプロを楽しむために使っているのと同じくらいの時間とおカネを落語に対して使うことが今後あるのかないのかわからないけど。
そんなの、人それぞれだから。

でもまあ、楽しみは多い方が良いね。
相互作用で今までの楽しみがより楽しめるようになるし。
てゆうか、いろんなことを楽しめるようになりたいね。
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