犬に論語

道理を説き聞かせても益のないことのたとえ。
同様の諺で、フランスに「ロバにシャンソン」というものがあるそうですが、本当でしょうか。
フランス人の方、教えてください。
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・本を買って、ぱらぱらっと軽い通読だけして、そのままになるものがあります。

  そこから、読みはじめられるものもあります。
 やがて、「もう読まないだろう」となった本は、
 なんらかの方法で処分されます。
 残念だけれど、しょうがない。
 本がある「場所」のほうが、
 その本よりも「価値」があるということになれば、
 本と別れることになるのは、しかたのないことです。

 さらには、「読むかもしれない」という本ばかりが、
 どんどん積み重なっていくということは、
 どうにも、じぶん自身を苦しめることにもなります。
 その本を読むのか、読まないのか、
 誰が脅迫しているわけでもないのですけれどね。
  
 その本を手に入れようと決めたときには、
 「この本のおかげで新しいことを知れる」
 「この本が、じぶんをたのしませてくれる」
 「この本を読むことで、わたしはもっとよくなる」
 いろんな理由があって、その本を連れてきたのです。
 その時点では、本とじぶんは、なんらかの約束をした。
 その顔も見ないで放ったらかしておく‥‥なんてことは、
 想像してなかったはずなのです。
 
 でも、おそらく「よくばり過ぎ」だったんですよね。
 じぶんでは、なかなかそうは思いにくいのですが、
 何年に一度くらい「家人が業を煮やす」わけです。
 つきあいもしない恋人を幽閉しておくのは、やめて、と。
 その通りだと、思いますともさ。

 で、別れることにするのです。
 そのときに、まだ読んでない本を残しておくよりも、
 いちど読んでよかった本のほうを、
 大事な思い出のように、お礼のように、
 とっておきたくなるものだったんですよね。
 このことを、いまごろ、ぼくは知りました。
 こうして本棚の本を減らしていくと、
 読んだ本ばかりが残っていくのかなぁ。
 それも、なんだかちょっと不思議な感じなんですが。


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1週間前のことっていうのは、ずっと昔のことのような気もするし、つい昨日のことのような気もする。

あれから一週間たっちゃったんだなあ。
ぜんぜん実感がわかないというか、わくわけがない。
この感情をどう整理して受け止めたらいいのか。
きっと、ずっと、モヤモヤと考え続けていくんだろう。
福井公演も武道館公演も会場全体からすごく伝わるものがあったんだけど、
それをどう説明したらいいのかわからない。

福井公演は後ろの方の席だったのでよく見えたのだが、
本編最後の曲で、有志が配ったサイリウムで
客席が徐々に黄色く染まっていく様子は見ていてゾクッとした。
そして、アンコールが終わり追い出しアナウンスを3回やっても
帰らないファンたち。
帰れないファンたち。
いつも思うんだけど、
ステージ上の彼女たちはもちろん素晴らしいのだけど、
その彼女たちを見守るファンにもグッとくる。
もちろんマナーが悪い不快な客もいるけど。

武道館という大きな舞台で彼女たちを見たとき
これだけ大勢のファンに見守られているさまを
まざまざと見せつけられたときは思わずグッと来てしまった。
斜め前にいた黄色いTシャツを着た女の子2人組は、
公演が終わったあともずっと泣きじゃくったまま立ち上がれず、
お互いに慰めあい、とても帰れそうな様子じゃなかった。
サイ祭を企画するまでもなく、会場は黄色だった。

デビューした時から彼女たちのことを見て来たようで
ぜんぜん何も見ていなかったのです。

通勤中のクルマの中で録音していたラジオを聴いていたら
ふいに「この愛をかさねて」という高橋さんと新垣さんが2人で歌う曲が流れてきて、
号泣してしまった。
電車やバスの通勤じゃなくてよかった。
なんだか彼女たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになって泣いてしまった。
彼女たちが一番大変だったときに見ていてあげられなくってホントに申し訳なったなって。
よく意味が分からない感情だけど。

彼女たちと俺との関係の歴史を振り返るのは省略するとして。
そして、彼女たちと俺とのこれからの歴史はどうなるのか分からないけど、
ますます好きになったのは間違いない。応援したいというか。
グッズとかぜんぜん買わない、うれしくない客だけど。
サイケデリックな電子音を聴かなくても、ある種の意識の拡大がおこなわれたのだなあ。
憑きものが落ちたというか新たなものが憑いたというか。
ライブを観に行った後はたいていファミレスとかで呑んだりするんだけど、
30日の夜はぜんぜん呑みたいって思わなかったなあ。
もういっぱいいっぱいだったから。

まとまらないし、まとめようとも思わない。
ずっと、いろいろ想い続ける。

で、中1日で福岡へヤンさんを聴きに。
きっとね、遠くへ行くってことだけでも十分に「意識の拡大」は行われるんだと思う。

やってることは毎回同じことなんだけど、
あの電子音を全身で浴びたいんだよね。
会場に着いたとき、まだ誰もいなくて
整理券の配布まで、飯を食うには中途半端な時間だったので
そのまま待っていたら1番になってしまって某ラッパーさんには申し訳ないことをしたなあって思った。
彼は俺のことを「オマイツ」って認識しているのかなあ。
髪型を大幅に変えたので分からないと思うんだけど。
でも、トイレの出入り口で偶然すれ違ったとき、
「ご苦労様です」って声をかけられて、なんのことかと思ったけど、
不意のことだったので思わず口から出ちゃったのだろう。
ちなみにヤンさんから原発に関する話は無し。

で、初めて福岡まで行ったのに
なんの観光もせず、飯はファミレスやリンガーハットで長崎ちゃんぽんを食ったり、
土産の一つも買わずに朝イチの新幹線で帰って来たという
「俺って普通の奴らと違って、ちょっと変わっているんだぜ」アピール。
ホントに興味がないのと、ホントにカネがないのが理由。
またネカフェで泊まったし。

そりゃ、カネなくなるよなあ。
来年車検だけど、大丈夫かなあ。

そうやって数日間、家を空けていたもんだから、
録画されたテレビ番組がずいぶん溜ってしまった。
でも、ぜんぜんテレビを観る気がしないんだよね。
ダブルパンチの余韻がずっと続いているから。
1週間たってようやく少しずつ見られるようにはなってきたけど。
「おひさま」の最終週と「カーネーション」はまだ観ていない。
自動録画の設定もしているから観ないでいるとHDDがどんどん埋まってしまう。
録画はしたけど観なくていいかなっていうのはどんどん消去しちゃうし、
落ち着いてからじっくり観ようっていうのはBDに焼いたり。
何やってんだかなあって思ったりするけど、面白いテレビは確実にあるし。

福井県に行って、福岡県に行って。
そしたらもう、あそこに行くしかないじゃないか。

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個人的見解

誰かが死んだとき、
追悼tweetがTLに流れてくるわけですよ。
で、昨日なんかはもちろんSJの追悼tweetが大量に流れてきて、
今までのいろんな人の追悼tweetの中でも
かなり多かったんじゃないかと思う。
小松左京のときより多かったんじゃないか。
たまたま、俺がフォローしている人たちの中で、
アップル製品やSJに思い入れのある人が多かったのだろう。
それと、とりあえず誰かが死んだら
追悼tweetをしたくなっちゃう人もたくさん居るのだろう。

俺はサッカーに興味がないからそういう人をフォローしていないけど、
日本チームが出場するサッカーの世界的な大会のときは
TLはサッカーだらけになるし。

誰が死んだら俺は追悼tweetをするんだろうと考えた。
たぶん、しないと思う。
そういうことをすることの意味がよくわからないから。
それに、手塚治虫さんが亡くなったときから、
誰が死んでもさほどショックを受けなくなったし。
そうでもないけど。

多くの人がMacとの出会いや思い出を語っている中、
こういうことを書くのも気が引けるけど。

最初に自分で買ったパーソナルコンピュータはiMacでした。
あのおにぎりみたいな形の。
それを選んだ1番の理由は「カッコつけ」です。
あとは省スペースと。
まだ液晶モニタが一般的じゃなかったし。

使い始めた頃は特に問題はなかったけど、
だんだん、MacとWindowsで出来ることと出来ないことの差が大きくなってきて。
フリーウェアの数の差とか。
自分がやりたいことでMac非対応のものが多すぎたり。
マシンそのものの拡張性とか。

でまあ、けっこうな年数使った後、Windows機に乗り換えて思ったことは
「長いものに巻かれるのが一番」だということ。
iMacを選んでしまったことで、ずいぶんいろんなことに乗り遅れていたのだなあと実感した。
余程の「こだわり」と「覚悟」がない限り、
マイノリティなものには手を出さない方がいいということを学んだ。
一時期、輸入車に乗っていたときもそう思った。

そういうことです。

携帯音楽プレイヤーはいろいろあるけど、iPodを選んでとても満足している。
iPodで俺の生活はずいぶん変わった。
もう、iPodのない生活なんて耐えられない。気が狂う。
他の携帯音楽プレイヤーをいろいろ比べてiPodを選んだわけじゃない。
iPodが「長いもの」だったから迷わずiPodにした。
カーステにもつなげられるし。
決して使いやすいとは思わないけど、大きな不満もない。
iPodがすごいのはそのプレイヤー単体の良さではなく、
iTunesとかも含めた全体の仕組みがすごいんだけど、
俺はいまだにネット配信で音楽データを買ったことがない。
なんかまだ信用が出来ない。

iPhoneやiPadはまだよくわかりません。
過渡期?

hungry」でいることはとても疲れます。
foolish」でいることはとても不安です。
「本当にやりたいこと」を忘れようとしてきました。

でも、そういう自分がちょっとずつ変わっているような気がします。
そのきっかけはやっぱり、モーニング娘。さんとヤン富田さんなのです。
武道館での娘。と福岡でのヤンさんと。

周りがワヤワヤしているので終わり。
続きはいつか。

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大震災があったのちに、山岸俊男さんの  『安心社会から信頼社会へ』という本が、  あらためて重要になっているのではないだろうか。

 
 やがて、震災から、半年になります。
 それまで以上に「安心」ということばを
 よく目にするようになったのですが、
 それはまるで、語られれば語られるほど、
 追いきれない夢を追うようなものに見えます。
 ほんとうに完全な「安心」とは、
 主観のなかにしかあり得ないものですから。

 逆に「信頼」は、もうすでに、
 「あり得ない」もののように語られたりしている。
 限りなく「信頼」がなくなったら、
 呼吸することさえも、困難になります。
 
 そんないま、もういちど、
 この本に戻ってみたくなりました。
 「ほぼ日」をはじめたころに、よく引用したのが、
 「正直は、最大の戦略である。」ということばでした。
 どれほど険しい崖を上るにしても、
 「信頼」の手がかりになる突起は、
 「正直」という材料でできています。
 新しい時代をどう生きるか、というような本が、
 次々に発売されましたけれど、
 昔に書かれた『安心社会から信頼社会へ』のほうが、
 なんか、いま読むべきもののように感じています。
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・8月、お盆休みのころというのは、同時に、日本では戦争のことを考える時期です。

・8月、お盆休みのころというのは、
 同時に、日本では戦争のことを考える時期です。
 いつのまにか、毎年、ぼくは
 NHKの戦争に関する番組を
 録画しては観るようになってました。
 
 今年は、冬に全四回で放送された
 『日本人はなぜ戦争に向かったのか』を、
 11日と12日の深夜にまとめて再放送していました。
 
 あんまり軽々しく言うつもりはないけれど、
 日本が戦争に向った道筋というのは、
 将棋の弱いやつが、強いやつに追いつめられて、
 どうにもなるはずのないその場しのぎの苦肉の策を、
 次々に繰り出して敗れていくのに似ていました。
 誰か悪人がいたり、悪の組織があったり、
 強い目的意識や信念があったわけでもなく、
 責任をとれないリーダーたちや、
 都合や思惑を調整するばかりのエリートたちが、
 右往左往した軌跡そのものが戦争だったように思えます。
 そして、それを後押しした「熱気」というもの‥‥。
 
 なんだか、いつでも、そういうものなのかもしれない。
 歴史の時間がずっと進んだあとなら、
 いまの日本の状況も、もっとくっきり見えるのでしょう。
 ただ、重要な位置にいて「終ったから語る証言者」は、
 いまは、まだいないようです。

・昨日は、録画しておいた
 『兵士たちの戦争「人間爆弾 桜花」』を観ました。
 特攻兵器「桜花」のドキュメンタリー番組です。
 
 すごく逆説的な言い方なのですが、
 兵器の優劣って、「根性の要らないものほど優れている」
 ということなんだろうなぁ、と思いました。
 それでも、優秀な兵器は相手をたくさん殺します。
 弱くて追いつめられた側の打つ手は、
 どんどん精神主義的になっていかざるを得ません。
 なんでも、怖いくらいまじめになってるときは、
 危うい状況のなかにいるときなのかもしてません。
 
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08

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【修正】下半期

http://www.helloproject.com/event/1107270000_live_cute.html

℃-ute Cutie Circuit 2011 〜9月10日は℃-uteの日〜

出演:℃-ute
9月10日(土)横浜BLITZ(神奈川)
14:30開場 15:30開演
18:00開場 19:00開演
1F全自由(整理番号付)・2Fファミリー席(指定):¥2,500(税込)
一般発売
8/20(土)10:00〜









https://twitter.com/#!/Amami_City/status/96052557083979776
奄美に移住するのもいいなあと思ったけど、
そのときはもうライブには行けないと覚悟をしなければいけない。
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でもまあ正直なところ、あまりこんなことは言いたくないが、とても不愉快な気分になりそしてゾッとした。

森にはいろんな木が生えていて、
良い木もあれば悪い木もある。
その中の数本の木を見ただけでどんな森かなんて分からないし、
でも、分かるような気もするし。

電力会社の社員の人と話す機会があった。
彼は俺と同じようにただの「木」ではあるけど、
完全に感覚が麻痺しちゃっている木だ。
そういう俺も、この業界に入ってまだ短いけど、
世間一般の常識から外れちゃっていることに気付いていない
「麻痺した木」かもしれない。

お互いに同じ「木」でしかない。

電力業界はこの先お先真っ暗だとその人は言う。
原発が使えなくなったり新しく作れなくなったらお飯の食い上げだと。
菅直人みたいな奴は早く首相を辞めてもらわないと困ると言う。
そう言いながら社宅を出て数千万の家を買うのだ。
そして、電力会社の保険証を見せたら銀行は簡単に金を貸してくれたと自慢げに話す。
別に家を買うことは個人の勝手だからどうでもいいし関係ない。


早く原発を稼動させたくてしょうがないようだったが、
自分の会社の原発は絶対に事故を起こさないと思っているんだろうか。
仮に事故が起きたとしても自分自身の責任にはならないから、
どうでもいいと思っているのだろうか。
そのむかし、臨界事故を隠蔽したときのように。

その人には小学生と幼稚園の子供がいるのだが、
福島県の子供たちがいまどうなっているのかを
知っているのか、知ろうとしているのか。知りたくないのか。
想像することすらしていないのか。
まるで他人事のようでゾッとした。

超安定企業には入って待遇もよく、
退職後だって良い待遇を受けられると思っていたのに、
東電の事故のとばっちりを受けたり(株価が下がるとか)、
「脱原発」なんて言う首相のせいで
俺の人生どうなるんだろうと思いつつも、
菅直人が辞めた後は、俺たちを守ってくれる政治屋が
ちゃんと動いてくれるはずって思っているように見えた。

でも、そう思っちゃうのはしょうがない。
どんな理由か知らないけど、たまたま特殊な「民間企業」に就職して、
家族を養って、これからはローンを払っていかないといけないわけだし。
彼だって俺と同じただの「生活者」でしかないのだから。

ただなんとも複雑な気持ちの悪い感覚になった。
新聞社やテレビ局の人と話したときもこんな感覚になることが多い。
銀行員もそうだけど、彼らはそういう雰囲気を絶対に出さない。
そこがまた不気味なところだ。

ただの「ルサンチマン」なんだけどね。

俺のじいさんがちゃんと学閥にはまって、もうちょっと出世をしていれば、
俺はコネで電力会社に就職していたと思う。
本当はイヤなんだけど、当時の俺は断れなかったと思う。
そして、辞めたくても辞められず
でも給料や待遇は良いからまあいいかとだんだん麻痺していっただろう。


ええ、いま勉強中です。
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